第21回森になるサロン報告

2014/07/26(土)19:00-21:00「アムステルダム学会報告会」

 2014/07/26(土)190-21:00「麹町区民館」で第20回森になるサロン「ヨーロッパ学会報告会」を開催した。16名の参加者でたいへん熱心に意見交換が行われた。

 理事の小西喜朗の司会でスタート。森になる副代表理事佐原勉が開会に先立って、森になるの学会発表への期待とこれからの展開課題を提示した。報告は森になる専門委員橋爪謙一郎から、アムステルダムでこの7月に開催された「ヨーロッパポジティブ心理学会議2014」での「森になるシンポジウム」全体の様子が伝えられ、橋爪、尾崎真奈美、河野秀海がそれぞれのパート概略をお伝えした。

 全体的な感想として、これまでの人類を頂点に置いた世界観から次のあり方が模索され、私たちの発表に一縷の光明を感じた聴衆がとても多かったように感じられた。そういったことを軸に、現在広く知られてきているポジティブ心理学や、マインドフルネス瞑想法などの本質的なあり方についても様々な意見が提出され、議論は尽きることがなかった。

 

 以前、秀海さんの還暦お祝いの場に意図せずして居合わせ楽しく遊んでいただいた縁で今回初めて第20回森になるサロンに参加させていただきました。今回は「ヨーロッパ学会報告会」というタイトルで3.11直後における被災者の心理から考察した「ポジティブ心理」、さらには、3.11における「繋がり」から説明されたマインドフルネス瞑想法などについて議論がなされました。
 さて、僕自身について少し話をさせていただくと、僕の専門は歴史学であり、心理学にかんするこうしたアカデミックな集まりに出るのは初めてでした。なので、今回は頭をからっぽにし、特に口をはさむでもなく議論を聴かせていただいていました。大変有意義で面白い議論で、正直もっと聴いていたいというのが第一の感想でした。よって、本来はこれ以上の感想をもらすつもりはなかったのですが、意図せずして感想を求められましたので、議論のなかで思ったことを二つほど問わせていただこうと思います。論点ずれそうですし、長くもなりそうですが…


 先日、Facebookにて少し話題になっていた記事がありました。それは、危機的な環境で生き残るのは「強い」ものではなく「適応」できたものであるという内容です。つまり、「弱者が滅び淘汰される」という考えは、厳密にいえば間違っているということでした。
 さて、ではこの「適応」という概念から3.11直後のPTG(後トラウマ的成長…とでも訳せるでしょうか?)を考えるとどうなるのだろうか?というのが、考えたことの一つめです。

 危機的環境において淘汰されるのは、弱者ではなく適応が出来なかった者である。これを前提として踏まえるとするならば、例えば尾崎先生が提示したような被災によるトラウマ→共生【もしくはポジティブの共有】に至る前に、大勢の間でトラウマが共有され「適応」が広がることで、PTGを共有した共生へと発展しえるのではないでしょうか。この点についておうかがいしたいと思いました。


 いっぽう、PTG、すなわち無からの成長及び出発は、3.11経験後の「東北」に顕著であり、それは一見するとビジネスマンの考える「成長」とは真逆であるとの意見が出ました。が、果たしてそうなのでしょうか?というのが二つめです。

 大企業の創設者は、敗戦日本に蔓延していたPTGのなかから生まれた人物が数多くおります。そして彼らの業績は主に、1970年代の例でもってピーター・ドラッカー(『マネジメント』)やエズラ・ヴォーゲル(『ジャパン・アズ・ナンバーワン』)によって称賛されましたが、これらはまさに日本の創業者たちに対するPTG精神への称賛であると思います。また現代でも、裸一貫、なかばホームレス状態で起業し「成長・成功」した若い企業家は多くおります【「成長・成功」は、現在においてなかば無意識的に世間で使用されている、資本の激増や金持ちになるというニュアンス】。若い彼らは必ずしもPTGを経験し程るとは限りませんが、「無」から出発したという点は共通しており、それは「東北」の場合とも類似しています。ですが、一方のビジネスマンは、ビジネス書などで創業者たちの「成長・成功」を羨み、PTGを経験せず「有」の状態からの「成長・成功」に憧れる者たちです。ここから、PTG↔ビジネスマン的成長、というよりも、無からの成長↔有からの「成長」という点で「真逆」なのではないでしょうか?


 などと、素人目から考えていました。歴史研究者であると同時に、ビジネス書を身近に扱う書店員しての意見です。的外れだとは思いますが、どなたかお応えいただければ光栄です。そして見当違いがあったらお教えください。

 今後とももっと勉強させていただければと感じました。長文失礼致しました。

(文責:伊藤陽寿)

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コメント: 5
  • #1

    尾崎真奈美 (月曜日, 28 7月 2014 17:24)

    伊藤先生、トラウマが共有されることにより、それが適応と考えられるという論点、大変興味深く伺いました。適応という概念は、外的環境に対する概念で、絶対的な、あるいは宇宙中心の視座からの概念とは違う現実的な次元の話ですよね。科学の言葉でそのように説明する努力がすばらしいと思いました。
    日本人の悲観論者が、楽観主義者より成長したという事実をそのように説明すると納得しやすいですね。
    そのようなステップがあった方が了解しやすいと思いました。

    ただ、私がここで強調したかったことは、本質論であり、絶対的な与える喜びが、持続可能なウエルビーイングに不可欠ということでした。それは喜びであると同時に苦しみ悲しみでもあり、感情というより、生き方ではないかと言う、デーブさんの意見に賛同します。

    私のしていることは、科学で本質論は扱えないと言う掟に対する挑戦です。
    基調講演で歌い踊ったのも、同じ理由です。

    今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。



  • #2

    尾崎真奈美 (月曜日, 28 7月 2014 17:30)

    もう一点、適応ということに関して。
    肉体・心理・社会的次元でいえば不適応、病的と判断される場合であっても、スピリチュアルな存在の次元での成長はあると思います。永遠を見越した魂レベルの話です。ここまで書くと、アヤシイと言われますか・・・笑
    しかし、これこそが要だ!というのが私の主張です。
    たとえ死んだとしても、この肉体が滅びたとしても、もっと重要な永遠の命に関わる事柄がある、それこそが宇宙中心の理である、ということです。

  • #3

    小西喜朗 (水曜日, 30 7月 2014 12:45)

    適応戦略として、楽観よりも悲観のほうが優れていたのではないかという視点は進化心理学的ですね。面白いです!
    いろいろ考えまさせられました。ありがとうございます!

    おっしゃるように、強さと適応は異なると思います。ダーウインは適者生存を説きました。
    では、悲観的か楽観的かのどちらが適応力が高いのか?

    生命は基本的にはリスクにより敏感に反応します。悲観的な行動パターンがないイケイケ主義の生き物は絶滅しちゃってもはやいないでしょう。生きて行くには楽観よりも悲観の方が適応的です。やられちゃえば、もうおしまいです。逃げて損することはありますが、死にはしませんから、悲観的に考えて逃げた方が生き残る可能性が高くなります。

    そもそも悲観的な見方がダメでイケイケどんどんって生き方の方が珍しいと思います。

    滅多に来ない地震に備えて、堅牢な建物をつくります。そのときに自分がどこにいるのか、その確率とかいろいろ考えると、自分は大丈夫と思って、やられちゃえば運が悪いと思うという人もいますが、多くはそうではありません。
    ですから、悲観的な方が生き残る確率は高いのです。

    ただし、こうしたアクシデントが起こらないとすれば、あるいは起こるまでは楽観的な方がより効率的に生きられます。だって、まさかのために備えるための資源を他のことに使えるわけですからね。キリギリスは、まさかの時に備えていたアリさんに助けてもらわないと生き残れません。

    悪いことがおこったとき、そんなの偶然だよ、運が悪かっただけだよと考えると、アクシデントには備えません。これが楽観論です。悲観論では、もしかしたらまた起こるかもしれない、次はいつ来るかもしれないと考えて、いろいろ心配したり、対策を練ります。自分のどこがいけなかったのかと反省するほうが、知恵は高まり、生き残ってきた。

    人間はある意味、本能を忘れた動物です。そして、多くのリスクから社会的に守られています。ですので、リスク対処に資源を投入しないほうが、楽しく、効率的に生きることができます。そのほうが、社会での成功確率は高くなるでしょう。しかし、その背景ではリスク対処を無視しているんですね。あるいは無視できる限りにおいて成立していることなんだと思います。こうしたことはビジネスのジャンルでも同様かと思います。

    ここまでは、リスクと生存確率の話で実はほぼ説明できます。
    尾崎さんの話はその先のことで、マズローでいえば生理的欲求や生存欲求の先に行く。
    愛と所属の欲求、さらに尊厳、自己実現、さしてスピリチュアルな世界へと続いて行く。

    人は何に価値を置くのか、私たちは生きることにどんな意味を見出すのか?
    ここに実存の課題が浮かび上がりますが、私はここにも生存戦略が大きく関係していると思います。
    生命がその命を紡いで行くうえで効果的な価値観を私たちは本来、根っ子に持っているのでしょう。

    社会的な動物である私たちは、助け合うことが生き残ることです。生き残るために群をなし、群を維持発展させるために、助け合う喜びは必要不可欠な要素だと思います。

    逆に、集団に対して何ら益をもたらさない存在は、集団から阻害されることになるのが自然の摂理でしょう。ただし、何が有益かどうかは極めてロングレンジにて捉える必要があるでしょう。この点は注意が必要かと思います。

    ですから、与える喜びはすでに遺伝子にビルドインされていると私は思います。
    もし、リチャード・ドーキンスの言うように、私たちが遺伝子の乗り物に過ぎないとすれば、なおさら与えるために存在していると言えるでしょう。

    さて、この先にスピリチュアリティーをどうもってくればいいのでしょうか。私には難しいのですが・・・。

    私たちは縦横無尽に張り巡らされた命の縦糸と横糸に支えられて、今ここに存在しています。
    私は震災のときにそれを実感しましました。

    命は一つだけで存在しない。その地域だけでも、地球だけでも存在しない。太陽系だけでも存在し得ない。生命の元になる物質をたどれば、すべてビッグバンにまで行き着きます。

    これは科学的にという議論の必要もないほど、明白な事実です。しかし、私たちは宇宙を意識しながら日々の生活をしているわけではありません。

    与える喜びについて理論的に納得している人が与える喜びを実感し、それを実行するわけでもありません。与えることを強要できるわけでもありません。

    私たちにとって大切なことは、おそらくは、「与えることを実行できて、その行動を喜びとして実感できる環境や場をつくること、そして増やすこと」
    なのでしょう。

    それが「森になる」の活動の基本ではないかと思っています。それが想いと命をつなぐ場ではないかと思うのです。

  • #4

    伊藤陽寿 (水曜日, 30 7月 2014 19:20)

    尾崎先生、小西先生

    素人の素朴な疑問に大変真摯にお答えくださいましたこと、大変光栄に存じます。ありがとうございました。

    僕はそもそも科学者ではないので、「適応」についての一般概念すら理解しておりません。浅薄な考えについて評価していただいたうえに、論点とすべき内容をわかりすく教えていただけたと思い、得をしたと感じております。

    問題とすべきは、「適応」を経ない(というか、超越的な次元でなされる「適応」のため、現実には経ないようにみえる)本質的な「ポジティブ」なのだと、ご教示を経て理解しました。さらには、ネガティブのなかにある「ポジティブ」を立証しようと努力なされていることを、ご教示のなかから、素人ながらに強く感得致しました。まだ頭ではしっかりと整理がつけられないと思いますので、今後とも研究会やイベントに参加させていただくことで、頭ではなく身体で、先生方の主張を理解、感得していければと思います。

    本当にありがとうございました。

  • #5

    秀海 (水曜日, 30 7月 2014 19:53)

     尾崎さん、小西さん、伊藤さん、コメントありがとうございました。
     今回の報告会は、アムステルダムでの反響を反映してか、ずいぶん盛り上がりました。今後もさらに積み上げて行き、森になるの理念を深めて行きたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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