明歴々露堂々―明かされている秘密

「明歴々露堂々」(めいれきれきろどうどう)

淡交社「禅語大辞典」には以下のようにある。

「歴々と明らかで、堂々と露(あらわ)れているの意。
一点も覆い隠すことなく、明らかに露れている、ということ
真理は奥深いところに隠れていて、誰もが簡単に見られるものではないと考えられがちであるが、実際は、全くあからさまであり、隠すところなど微塵もない。
それが見えないとすれば、見ようとしないだけか、目が曇っているだけにすぎない。
※類義語:明々歴々露堂々(明々:非常に明るい様)」

 古来、東洋―特に日本では、大切なことは文字にせず「口伝(くでん)」という方法で師匠から弟子へと継承されてきた。
 それはなぜかというと、文字に残すと誰かの手に渡ってしまうかもしれないという危惧があったからかもしれない。
 さらに、時間の流れに抵抗力のある文字として固定されると、伝える側と受け取る側の間で起きるビビッドな共振作用が無視されてしまうからではないだろうか。
 師は弟子の成長の段階を、常につぶさに観察している。そして、最も相応しいときに適切な教えを伝えていくに違いないのである。その中でも教えの最上のエッセンスは、それを受け取るに充分な状態が弟子に整ってはじめて継承されたことだろう。

 「準備が整ったときに師が現れる」‥最近ではよく耳にすることばである。
 いろいろな心の状態を経て、弟子の心の畑は耕されてゆく。雑草が取り除かれて、柔らかく耕され、充分な水分が与えられてはじめて種が蒔かれるのである。そこに至るまでの心の変化には、察しても余りある道のりを感じる。
 そして、準備が整ったと師が見て取ったとき、「密室道場」において厳かにマンツーマンで伝授されるのである。

 自分の息の音しか聞こえないような薄暗闇の中で、あらゆる感覚器官が「そのこと」一点に集中する。
 瞬間瞬間の息遣い、理解のテンポとその間‥
 その状態がピークに達したその瞬間に、師はすべてを弟子へと受け渡すのだ。
 俗世間で暮らしていたころの判断基準であった常識や価値観、弟子として行を重ねるうちに培ってきた新たな世界観‥
 そういった事柄すべてが一瞬のうちに崩れ去り、真っ暗闇の中には一条の光が射して、まったく新たな地平が広がる。

 このような瞬間をどうして文字で残せるだろうか。
 プライベートレッスンのライブだからこそ出現可能な瞬間なのではないか。

 しかし、そこで伝えられる「奥伝」は、実は降り注ぐ慈雨の恩寵のように、常に私たちの前に明らかな秘密として惜しげもなく明かされ続けているのである。
 茶道の作法という形の中に、ヨーガのアーサナの中に、佛教の様々な所作の中に、その秘密を読み解いてゆくことが出来る。
 よく「形骸化」という言葉を耳にするが、それはその秘密を読み解く力を持っていないというだけのことである。形に込めて伝えるという智慧は、それが途中で読み解く能力のない人に伝えられ、さらに次に伝わっていったときでさえも、そのエッセンスが損なわれることはないという素晴らしいテクノロジーだったのだ。
 理解できる人がその形に触れたときには、あらゆる秘密が意味をまとって明らかに踊り現れるものなのである。

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