仏教入門02「極楽ってあるの…?」

 温泉に入って「あ~極楽、極楽~♪」というセリフも最近ではとんと聞かなくなった。
 ある法事のあと、檀家さんからこんな質問が飛び出した。「和尚さん。お経あげてもろたらみんな極楽行くゆうけど、ほなら極楽て成仏した霊でいっぱいでえらい混んどんのんちゃいまっか?」

 私たちの日常生活を超えた「極楽」は、時間も空間も限りがないので混み合うことはないのだが、実はあまり知られていない約束事があるのである。
 「極楽」とは、本来「極楽浄土」と呼ばれ、これ以上ない「楽」が極まった処で、穢れのないピュアランドのことを言う。
 そこには実は誰もいないのである。

 お葬式のお経の後に『発願文(ホツガンモン)』を唱えるが、その唱える心得に「死の縁は無量なり。いつも臨終の思いになって唱えよ」とあり、後半の一節にはこのようにある。

 

 「…彼國已得六神通入十方界救攝苦衆生…」

 

 …かの国にいたりおわりて、六神通を得て、十方界に入って苦の衆生を救攝(くしょう)せん…

 

 「極楽に行って超人的能力を身につけ、六道輪廻に落ちている者と修行する者の心の中(十方界)に入って、その苦しみを救うのだ…」

 

 この世に残された私たちは亡くなった人の往生を祈り、往生―極楽に往って(いって)生まれた霊は不思議な力を身につけて、私たちを救うために心の中に還って来るという訳である。
 亡くなった霊が生前の善行や残った人の供養で極楽に往生したら、すぐさま救済のために私たちのもとにかえって来なければならないのだ。
 そのような約束事で送られ浄土に行って、「極楽、極楽~♪」とのんびりしていられないというのが実情なのである。
 すなわち「極楽」というのは、この世のどこか遠くにあるのではなく、人の幸せを思い、人の成仏安寧を願うその心の状態にこそあるのではないだろうか。 

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コメント: 2
  • #1

    (土曜日, 09 3月 2013 22:23)

    >「極楽、極楽~♪」とのんびりしていられないというのが実情なのである。

    SF小説でキリスト教徒の方が「死んだら楽園だ」と思っていたら、死後なぜかモルモン教徒に改宗されてしまい「死んでもあちこちで働かされてクソ忙しい!俺を普通のキリスト教徒に戻してくれ!」
    という話を思い出しましたw。

    極楽、パラダイスは魂=データを持つ時空を超えたエネルギー体という視点からは、無数の在り方があるヴァーチャル空間のようなもので定義できないと思いました。

    極楽とは肉体を持った状態でどこまで利便性や快楽を得られる場所だろうかと考えています。

    聖書で言うと人間が智慧の実を食べるまでは、神のペット状態で地上楽園「エデン」で満足に暮らしていました。
    食べて寝て子孫を作っていれば満足していたのですが、
    智慧を得て善悪を知り、古い楽園を追い出されて個人として生きがいを求める肉体人間として現代の「エデン」の仕組みとはいかなるものか?
    僕は「共生」や「相互愛」といったキーワードを基に、素朴な地上楽園的状態とはなんぞや?という事を考えています。

  • #2

    Shukai (月曜日, 22 7月 2013 09:53)

    涼さん
    コメントありがとうございました。今日まで気づかず失礼しました。

    「極楽は定義できない」、まさしくそのとおりだと思います。

    「肉体を持ったまま利便性や快楽…」

    う~ん…

    私はちょっと違います。

    利便/不便、快/不快といった二元性を超えた状態を指しているのではないかと考えています。

    それを「智慧」と呼び、アダムとイヴに象徴される人類の苦しみの根源は、まさしくその「二元性」―すなわち「分別智(さ脳の働き)」にあると思うのです。

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