「この世とは 核の上の 花見かな」

 元歌はご存知のように、「この世とは 地獄の上の 花見かな(一茶)」である。
 といっても、核が地獄であると言いたいわけではない。現代のわたしたちにとって、「核」は禅宗における「公案」だとはいえないだろうか。

チベット仏教:問答
チベット仏教:問答

 「公案」というのは、いわゆる禅問答である。禅問答というと、「真意がとらえにくい問答」と解されがちであるが、本来は禅僧が悟りを開くために行う問答を言う。
 チベット佛教でも一人が座り、その僧に向かって両手を打ちながら、時に激しい口調で問いを発している光景を目にしたことがあるのではないだろうか。
 
 かつての公案は個人の目覚めのために、個人に向けて発せられるものであった。しかし現代、目覚めは個人レベルのものではなく、人類全体として希求されているといえるのではないだろうか。
 免疫力をより高く保ち、さらに高い意識から世界を俯瞰し、あらゆる対立を超えてゆこうとする方向性‥

 そういったことに、より多くの人類が早く目覚めるようにという「核の公案」=Great Question であるといえるのではないだろうか。 

 「怖れ」に自分を明け渡してはならない。しかしかといって、ポジティブイリュージョンを意図的に助長しようとする「低線量は健康にいい」といった情報操作にコントロールされることも、目覚めからは程遠いといえる。
 どちらの極にも偏らず、その間にある「中道」を行けというのが釈尊の教えである。

 
 *「怖れ」をない事にしない,でも自分を明け渡さない⇒クリック

 

 * 一茶は江戸時代の俳諧師。3歳の時に生母を失い8歳で継母を迎えるが、継母に馴染めず、安永6年(1777年)、14歳の時、江戸へ奉公に出る。
 俳諧の修行のため近畿・四国・九州を歴遊したのち、39歳のとき再び帰省。病気の父を看病したが1ヶ月ほど後に死去、以後遺産相続の件で継母と12年間争ったと伝えられる。
 50歳で故郷の信州柏原に帰り、その2年後28歳の妻きくを娶り、3男1女をもうけるが何れも幼くして亡くなっていて、特に一番上の子供は生後数週間で亡くなった。きくも痛風がもとで37歳の生涯を閉じた。62歳で2番目の妻(田中雪)を迎えるも老齢の夫に嫌気がさしたのか半年で離婚。64歳で結婚した3番目の妻やをとの間に1女・やたをもうける。やたは一茶の死後に産まれ、父親の顔を見ることなく成長し、一茶の血脈を後世に伝えた。1873年に46歳で没。(Wikipedia)

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