如来と菩薩

 佛教にはたくさんの仏像がある。阿弥陀如来、大日如来、観音菩薩、地蔵菩薩…そのなまえの下についている如来と菩薩とは何だろうか?

 まず如来の語源は、タタ-ガタ(तथागत[tathāgata])で、訳すと「真如より来た」という意味である。真如とは「彼岸」、すなわち悟りの世界から来たのだと言われる。では一体何をしに来たのかと言うと、もちろん我々衆生を救うために来たのである。
 では菩薩はというとその語源はボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व [bodhisattva])で、「菩提(悟り)を求める人」あるいは「悟りを備えた人」と解説され、大乗仏教の根幹となる概念である。もうすでに悟りに到達している(あるいは悟るだけの十分な資格がある)のだが、全ての人々が向う岸に渡るまで自分も渡らないと決めて、敢えてこの世界に踏みとどまって仏道を修している者のことである。

 その中でも、今日は多くの人に馴染み深い「地蔵菩薩」に触れておこう。サンスクリット語でクシティ・ガルバ(क्षितिघर्भ [ksiti gharbha])。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味である。大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。一般的には「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶお菓子が供えられている。

 釈迦の没後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う菩薩であるとされる。(Wikipedia)
 ほとんどの如来像や菩薩像が、ロングヘヤーであったりキラキラの冠を着けたりと煌びやかな装飾が施されているのに対し、地蔵菩薩は質素である。髪を剃り落とし、衣体(えたい:僧侶の着ている衣)もシンプルだ。一切の装飾を外して、困っている衆生があれば地獄の底にまでも赴くウォリアーなのだ。
 ほとんどの場合、お地蔵様は家の中ではなく、外に祀られることが多い。利他的なその働きを、自分個人が独占することを避け、より多くの人々にその利他行為が行き渡るようにとの教えのためであろうか、古い町並みのそこここにお地蔵様の祠を見つけることができる。

*cf.賽の河原地蔵和讃」←クリック

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