大丈夫

 「丈」の字は長い棒を手に持った形をかたどったもので、そこから身長、身の丈(みのたけ)を表すようになったと聞いた。

 「大丈夫」は、もともとは「しっかりとした立派な男性」という意味であったが、「とても強い」から「間違いない」と使われるようになったようである。

 以前悩み事のあった女性に、「だいじょうぶ‥」と言ったら、「何の根拠もないのに‥」と返されたことがあった。確かに‥

 しかしよくよく考えてみると、大丈夫の根拠など一生探しても見つからない。それは「信」が無根拠なのと同じである。
 親鸞上人が信仰を極めた際に、「例え師匠に空かされて地獄に落ちても師匠を信じる」と言ったという。「信」とはそのようなものなのだ。何かこうすればこうなるという保証があって信じる訳ではない。「信じよう」とする心の姿勢そのものが「信」なのではないだろうか?
 
 「愛」も同様である。子どもが〇〇であれば愛するという、何か条件があるのではない。それは無条件だ。
 「信」も「愛」も無条件なのと同様、「大丈夫」も無条件なのである。「大丈夫」と自分に言い聞かせるから大丈夫になるのだとは言えないだろうか。アランも『幸福論』の中でこのように述べている。すなわち「幸福だから笑うわけではない。笑うから幸福なのだ」と‥ 

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