感情・意識と身体感覚

 感情、情動はほとんどの場合、身体感覚と密接につながっているので、特に日本語にはそういった表現が多いように思われる。
 「はらわたが煮えくり返る」、「胸が熱くなる」、「肩の荷が重い」、「胸がすく」、「足が重い」、「耳が痛い」、‥などなど

 それに纏わる感情を、頭の中でどうにかしようとしても、たいていの場合は堂々巡りとなって仕舞い勝ちなので、そんな時はそれに対応する身体にアプローチする方が効果的であることが多いようだ。「腹に据え兼ねる」ことがあれば、たいてい胃が固くなっているので、胃を温めて優しく摩ってやると「気が治まってくる」から不思議である。脳の中のアンバランスが体に表現されて、その症状が出ている箇所を整えてやると脳内のバランスが整うというのは、心療内科を創設した池見酉次郎博士も述べているところだ。

 それと同じように着物を着ると動きが制限されるので、自然と意識がある方向性に向かって整列させられるような気がする。男帯も柔らかい兵児帯(へこおび)ではなく、きちんとした帯を占めると心地よく骨盤が引き締められて自然に腰が立って、その上に背骨が真っ直ぐに伸びてゆく。すると視線がいつもより高くなり、遠くまで見透すような意識が保たれるのである。江戸末期にそんな和服の日本人を初めて見たアメリカ人が、その美しさに驚嘆したと聞いたことがある。

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 このことは、私の中では成長時に寺で身に付いた僧衣とその作法⇒Yogaのアーサナ⇒茶道の作法として逆輸入されて確認されてきた。

 着物を着たり、ヨーガを修したり、お茶を習っていると、体のコアである丹田は同時に意識のコアでもあることが、体感的に会得されてくる。丹田を除く体の態勢はできるだけリラックスさせ、精神も自由にさせておくと必ず丹田から動くこととなり、その動きは自ずとある美しさを醸し出すよう気がしてならない。

 帯刀していた時代の武士は、いつ誰が日本刀で切りつけてくるかもしれないという状況の中で、けっしてビクビクしていた訳ではない。逆にビクビクとしていては咄嗟の出来事に対応できないので、できる限りリラックスしていたに違いない。ただし、すべてを緩めてしまっては隙だらけになるので、たった一点、丹田だけを引き締めていたのだろうということが、着物を着ていると体を通して理解されてゆくのである。


 これが「和をもって貴しとなす」の「和=やわらぐ」と相通ずる点ではないだろうか。

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