老人ホームに勤めていたころ、入院したまま帰ってこないお年寄りを何人も見送った‥
老人ホームのお年寄りは同じホームのお友だちが見送ってくれるが、中には病院の地下にある寒々しい霊安室で、誰もお焼香に来ない寂しいお葬式を何度も執り行ったこともあった。
誰かそばにいて欲しかっただろうに‥
誰かに何か言いたいことがあっただろうに‥
よくそのように思ったものであった。
そして人は、その人生の最後に、自分の中で呟くことばが三つはあると思うようになった‥
ごめんね‥
ありがとう‥
いいんだよ‥
いろいろな人に対して、してあげたくて出来なかったこと‥
そんな気持ちはないのにしてしまったこと、言ってしまったこと‥
「ごめんね」
そんな私を許してくれたこと‥
「ありがとう」
そして、最後は自分自身に‥
「もう、いいんだよ‥」‥と、ОKを出すに違いない。
よくよく観察してみれば、私たちは毎瞬々々、生と死とを繰り返している。不連続の連続を生きているとも言えるだろう。 そう考えれば、そこには終わりもなければ、別れもない。在り方の変容、関係性の変容‥
それだけなのかもしれないと思えてならない。
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