土に還る

 戦後10年ほど経った大阪市内は、道路がほとんど未舗装で、あちこちの空き地の隅にはトタン板を立て掛けた程度のバラックや、廃車になったバスのボディーを並べただけの「バス住宅」などがまだいくつもあった。

 そんな頃、幼稚園に行くまでは毎日のように養老院のお年寄りの部屋に遊びに行くのが常だった。今から思うと、最近ではほとんど見かけなくなった明治生まれの人たちばかりであった。明治生まれのお年よりは一様に小柄なのだが、しっかりとした体つきをしていて、居住まいも正しく姿勢がとても美しかったのをよく覚えている。起きている時は、いつもきちんと正座をして、ごろごろしている人は一人もおらず、顔に刻み込まれた皺は深くて、それぞれの人生を無言のうちに語って聞かせてくれるといった風情であった。

 昭和38年に「老人福祉法」が施行されるまでは、生活保護法の範疇であったためか、「お国の世話になって申し訳ない‥」といった思いを抱く人が多かったようだが、大正生まれの方が増えて来た頃には、「当然の権利だ」というような人が多くなったように思われる。

 昼間に遊んでくれていたお年寄りが、夕方には本堂横の座敷で口と鼻に白い綿花を入れられて、横たわっている姿もよく目にしたものだ。近所から遺体が担架で運び込まれることも、日常の中の風景であった。

 私の子供の頃にとって「死」は、決して非日常の出来事ではなかったのである。寺の境内で近所の子供たちとかくれんぼなどをして遊んでいる途中でも、時折「死」について考えている自分をよく覚えている。「自分がこの世界からいなくなる‥」そんな事をイメージして、かくれんぼに興じている子供たちを眺めていると、その光景は「自分が消えても、変わらずに続いていく景色なんだ‥」と感じたりしたものだった。

 またある時は、庭の池に流れ込む水の流れを見つめながら、「今っ!」と心の中で呟いてみる。木の葉が目の前を通り過ぎる時に「い」と発して、すぐに「ま」と発音する時には、もうすでに「今」は過ぎ去っている。そんな風に「今」という魔術的時間を感じながら、常に生と死の狭間にいる自分という不思議を見つめていたように思う。私にとって生と死とは、かくれんぼで隠れている時と、鬼になった時の違いくらいの感覚だったのかもしれない。

 本堂には丈六(じょうろく)と呼ばれる大きさの阿弥陀さまが坐っていたた。「丈六」というのは、身の丈が一丈六尺(4.48m)という意味で、坐るとその半分の八尺(2.73m)の高さの、とても穏やかな顔つきの坐像であた。両脇侍(阿弥陀仏の脇侍は観音菩薩と勢至菩薩)は現存していないが、上手の奥まったところに中国の善導大師、下手には法然上人の坐像が祀られ、それぞれのお膝元には小さな骨壷がたくさん並んでいた。
 1945年8月14日にあった、B29戦闘機約150機ともいわれた大阪大空襲によって、三門と観音堂以外は焼失し、祖父母がご本尊と十数冊の過去帖を避難させたのだと聞いた覚えがある。そのために観音堂を、本堂と庫裏を兼ねていたのでお骨を保管する場所のゆとりがなかったようであった。

 日常的に遺体の湯灌やお通夜、お葬式を目にしていても、骨壷だけは「触れてはならないもの」といった感覚を何故か抱いていた。それは納骨されて―すなわち土に還されて、はじめて完結するかのような感覚をどこかで感じていたせいかもしれない。

 子供の頃に私の見た納骨の仕方は、予め石材店に依頼して墓の前面か背面にある蓋を開いておいてもらい、読経とともに骨壷から墓石の中の地面に遺骨を直接入れて納めるという形であった。

 成人する前後にしばらくいた沖縄地方では、小さな家ほどもある大きなカミヌク墓(亀ノ甲墓)に、一体分すべての遺骨を大きな壷に納めて、その壷を並べて入れる。そして納骨の数年後に、親族が海で洗骨してから改めて納骨すると聞いたことがあった。墓形は中国南部や台湾にも見られるらしいので、その原型は大陸由来と思われるが、沖縄方言に大和言葉が色濃く残っていることを考えると、洗骨の風習はイザナギの黄泉の国から戻って身を清めた「禊ぎ」に何らかの関係があるのかもしれない。イザナギは日向国の海水で禊ぎをしたので、神前の清めには塩と水を使うのだとも聞いたことがある。沖縄では「土に還る」というより、先立った家族がそのまま住居を墓所に移すといった感覚のようである。

 

 1970年の大阪万国博覧会の頃に、たまたま目にした週刊誌のグラビアページに、兵庫県だったかのマンションの屋上に墓石が並んでいる写真を見て驚いたことがあった。土地面積の少ない地域で、屋上に墓付きのマンションが分譲されたというニュースだったが、それと相前後してロッカー式の墓地が世に出だしたのも、この頃ではなかっただろうか。

 

*写真は沖縄の「亀甲墓」

 

   

 

 

 

 

 

                    *丈六の阿弥陀如来坐像 。

  戦災のために焼失した後光は、後に新装されたもの。

一般社団法人 森になる

〒1020082 

東京都‎千代田区一番町 6-4-712

・富士山連絡先

〒401-0511

山梨県南都留郡忍野村忍草2674-1 

        ダイアパレス富士忍野A304

代表理事:河野秀海

morininaru@gmail.com

FAX:03-6740-9949

Facebook ページ

↑クリック

  携帯アクセス
  携帯アクセス